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作手の里



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わたしが、子どもだった頃。
みんなが、まだ貧しかった頃。
家々の壁には、ミレーの粗末な複製画が
、掛けられていた。
あの頃は、大地と空に、包まれて生きていた。



◆ 東洋のバルビゾン、作手郷。
 不思議な絵である。作手の風景を描いている。アースカラーを基調とした、明るいのぴやかな水彩画である。まず目にはいるのは、うっすらと白雲の広がった青空。青空の下に、実際に立っている気分になる。

その青空に向かい、ひと群の屋敷林がそびえている。黒色がかった木は、杉か檜であろうか。やわらかそうな緑の葉を広げているのは、ケヤキだろうか。その屋敷林の底に、どっしりとした家構えを思わせる、青い屋根が見え隠れしている。

 この屋敷林が、画面の右6割の部分を占めている。屋敷林の手前の大地は、浅い橙色。それが画面左に向かって、灰みのある黄緑の色に変化し、さらに薄く明るいベージュの色へと続いている。そして彼方の林や森、遠くの山並みが、画面左の大方を占める青空の下に、低くうっすらと描かれている。

まぎれもない広やかな高原の風景であり、そこに屋敷林を配したことで、生活の重み、さらに言えば歴史の重みさえ感じさせる風景画である。

 この絵を見ていると、作手郷のすべてが凝縮されているのではないかと、思えてくる。作手郷の風土、自然、人々、歴史。それらへの愛着となつかしさ。これらが混然一体となり、この絵に表現されているのではないか。わたしには、そう思えるのである。

ただ、なぜそう思うのか、わたし自身、説明できない。冒頭で、不思議な絵であると書いたのは、そうした理由からである。

 作者は、「作手自然愛好会」会員の、村田藤子さん。画家である。他県から作手に移り住み、10年余となる。彼女の作品を見ていると、わたしはバルビゾン派の画家たちを、ふと思い起こす。

19世紀中葉、パリ近郊の小村バルビゾンに集まった画家たちは、失われてゆく農村の暮らしや風景にこそ美を見いだし、ありのままの自然の中で制作活動に専念したという。作手郷と、バルビゾン。それらの風景画。ここには、共通するものがある。

 むろん、キリスト教の歴史を背景にした西洋自然主義絵画と、村田さんによる作品の趣が異なるのは、当然である。油彩と水彩の質感の違いもある。

だがそれらの奥底には、共通する精神を見る思いがする。自然への、深い愛を感ずるのである。村田さんはさながら、日本におけるバルビゾン派のひとりではなかろうか。そして、作手郷は、東洋のバルビゾンではなかろうか。

作品/小橋のある風景

作品/山里の初秋

作品/秋草花

作品/古宮城趾

作品/静物
静物・評<誠実なスザンヌ>の流れを汲む静物画で、マチエールに味わいがあります。作品がとてもシンプルなので感動しました。くだものが熟していないということで、緑色が実にこの絵を強調しています。


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