湿原とは何か? その一、湿原と湿地
(2009.8.24)
8/23日(日曜)、庄の沢湿地はミズギクが最盛。群落の黄の色に、サワギキョウ、ミズギボウシ、そしてムラサキミミカキグサの淡いむらさきが混じっています。グランドカラーは、ヌマガヤなどの明るく柔らかな緑色。絵画を見ているような、一年でもっとも美しい風景です。
さて、これからしばらく、湿原・湿地について記述してみようかと思います。
「湿原の里・作手郷」を語るには、湿原とはどのようなものかを、まず語らねばなりません。それで以下に、作手史誌自然部会の資料原稿から、湿原・湿地についての説明記事を抜粋してみます。
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● 湿原は水面でも陸地でもない不思議な存在。
枯れた植物は完全に分解されると「土」になります。水分が多く寒冷な条件の所では完全に分解されず、半腐食(なかば炭化)した状態になります。この状態を泥炭といいます。泥炭の堆積する層が厚くなるにつれて「低層湿原(池塘が多く水位の高い湿原)→中間湿原(ミズゴケ・ヌマガヤが優占種、植生がもっとも豊かな湿原)→高層湿原(陸地へと移行する)」へと移行していきます。
植物などが完全に分解されずに残ると「腐植酸」ができるため泥炭の酸性が強くなります。分解されて土に帰るはずの養分も泥炭層の中に閉じこめられてしまいやせ地となります。
泥炭層の発達した湿原は、スポンジのように軟らかくふわふわとしており、その中に大量の水を含んでいます。この状態では完全な土とは言えません。
● 湿地と湿原の違い。
常に湿っている場所を湿地といいます。湿地は非常に大きな概念を持つ言葉で、浅い湖沼、あるいは沼沢地、水田なども湿地の概念に入ります。
湿原とは「過湿・貧栄養・強酸性の地に発達する自然草原」といえます。そのキーポイントは「泥炭層」の有無にあります。
愛知県には、北山湿地・藤七原湿地・矢並湿地・黒川湿地を始め多くの湿地がありますが、泥炭層がない湧水湿地であり規模も小面積です。泥炭層を有する湿原は県下では作手湿原のみです。このため「作手中間湿原群」として環境省より「日本の重要湿地500」のひとつに選定されています。
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以上が簡単な湿原・湿地の説明です。さてここで「湿原の里・作手郷」というとき、わたしたちは少し混乱をします。これについては、次回に説明しましょう。
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湿原とは何か? その二、泥炭湿原
(2009.9.7)
前回で簡単な湿原・湿地の説明をしました。しかしここで「湿原の里・作手郷」というとき、わたしたちは少し混乱をします。
湿原というとき、わたしたちはふつう、尾瀬ヶ原や霧ヶ峰の八島湿原などを連想します。広い草原と美しく珍しい湿原の花たち。歌でも歌いたくなる散策路。ところが作手には、そんな観光地的な風景はありません。前回記述した「作手中間湿原群」の代表的なものが、県天然記念物指定されている長ノ山湿原なのですが、一見荒れ地が広がっているとしか見えません。せめて鳥の声など聞こえれば、と思うのですが、まず何よりも近くのミニサーキット場を走行する車の爆音が騒がしく聞こえるばかり。愕然とします。
わたしが「湿原の里・作手郷」と言うとき、こうした長ノ山湿原の現実の風景を指して言うのではありません。
しかしここでもう少し、作手中間湿原群(長ノ山湿原など)について、説明します。重複するようですが、泥炭湿原について、史誌自然部会の資料原稿から抜粋記述してみます。
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● 泥炭湿原とは。
沼や池に生える植物が枯死して水の中につもり、分解が進まず半腐食状態となって長い年月にわたり、堆積した泥炭土の表面をスゲ、ヨシ、ミズゴケなど、その時々の植物が覆ってできた湿原を「泥炭湿原」といいます。
湿原とは過湿・貧栄養つまり、湿り気の覆いやせた土地に育つ、湿原特有の植物が生育する場所のことです。愛知県では泥炭湿原は大変珍しく、作手湿原が唯一の存在となっています。
● 泥炭湿原の変遷。
湖や湿地に生える植物が枯死し、倒れて水の中に積もり、酸素が欠乏すると微生物による分解が進まず、何千年、何万年もの間に、枯死した植物が堆積層を形成します。それが泥炭層です。
枯死した植物が水中で堆積を続ければ、池や沼は次第に浅くなり池塘が多い湿原ができます。この状態を低層湿原といいます。さらにヨシ、スゲ、ミズゴケの枯死したものが堆積して隆起し、乾燥化が進みます。この状態の湿原を高層湿原といいます。
低層湿原から数万年が過ぎ、高層湿原へ移行する途中の中間湿原ではヌマガヤが表徴種であり、植生の種類が多いのが特徴です。作手の湿原は、この中間湿原にあたり、環境省選定の重要湿地に選ばれ、作手特産種をはじめ、絶滅危惧種などの希少種が多く生育しています。
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上記の作手湿原とは、端的に長ノ山湿原を指していると考えてよいでしょう。約115cmの泥炭が堆積し、形成され始めたのは、八千年前にさかのぼります。なお泥炭層の厚さは様々に言われていて、混乱しています。
実はここで、長ノ山湿原より形成年代がさらにさかのぼる、消滅した大野原湿原について、記述する必要があります。仮にこの大野原湿原が残っていたならば、おそらく日本を代表する中間湿原とされていたと思われるからです。
次回はこの大野原について、簡単に説明をしてみましょう。
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湿原とは何か? その三、消えた大野原湿原
(2009.9.22)
村史誌資料原稿から、抜粋。
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● 消えた大野原湿原
農業基盤整備事業が始まる昭和40(1965)年以前の市場、鴨ヶ谷、長者平にかけて、30haとも50haともいわれる広大な湿原がありました。地下に大量の泥炭が堆積し、手のつけようのないこの一帯を「大野原」といいました。
大野原湿原に堆積した泥炭の最深部は3.5mにもおよび、一度落ち込んだら自力で抜け出せない、人を寄せ付けない底なしの湿原が広がっていました。
その後、大規模に農地化され、現在は向山と鴨ヶ谷の山際のごくわずかな地域に湿原の一部が残っているだけです。
大野原湿原の空中写真
赤線で囲んだ地域が湿原。湿原内に瘤のように見えるのは掘り出された泥炭の山です。
湿原内を迷走する水が乱橋付近で東西に分れ、蛇行しながら小川となり、細い沢が水田を迂回して流れています。幅1mもない幹線が、長者平から鴨ヶ谷へ湿原を縫うように伸び、その道に沿って面積も小さく、形の不ぞろいな水田が湿原を避けるように幾何学模様を作って広がっています。
水田に沿って泥炭を盛り上げた細い道が続き、湿原の周辺から少しずつ水田となっていった様子がわかります。
農業基盤整備以前の大野原湿原
区画整理された美田が広がる現在の大野原
● 泥炭(乾燥品・湿潤品)
産地:大野原湿原、大石巳郎氏採集
大野原湿原に堆積した泥炭は、最深部で3.5mを越えていました。一度落ち込んだら自力では抜け出すことができないので、落ち込んだときに場所がわかるように、菅笠をかぶっていけといわれたそうです。
その昔、人が沈み菅笠だけが浮いていた「万兵衛掘り起し」の語り伝えが今も残っています。
泥炭でできた深田の農作業は並大抵の苦労ではなかったようです。底なし状態の沼田では、切り出したハンノキなどの潅木を沈めて足場をつくり、田植えはその足場をたよりに、腰まで泥だらけになって、後ずさりして苗を植えました。
厄介者であった泥炭でしたが、近年は掘り出されて、園芸やゴルフ場の土壌改良剤として利用されています。
● 泥炭は生きたタイムカプセル。
泥炭の中には、肉眼でも確認することができる火山灰の堆積が四層あります。いまから二万五千年前に起きた鹿児島の大爆発により、中央部が無くなり大隈半島ができたときの姶良Tn火山灰は、泥炭層の2.5m付近に七センチ堆積しています。六千三百年前の鬼界アカホヤ火山灰、九千三百年前の隠岐火山灰、一万七千年前の大山系火山灰なども見つかっています。
これらの火山灰は巨大噴火により降灰したもので、泥炭の堆積年代や、気象を知る上で貴重な資料となっています。
● 大野原・長ノ山泥炭地の成り立ち
1.分水界の移動前後、下刻と側刻の侵食力で丸底の皿状の谷が形成され、泥炭が堆積しやすい地形ができた。
2.分水界の移動後、流量の減少で河川の流れが固定し、背後湿地で湿生植物が繁茂した。
3.側方斜面の小河川から水と土砂の供給を受け、枯死堆積した植物遺体は夏季の低温と湖沼状態による酸素不足で充分に分解されず、部分的に砂礫層を挟みながら泥炭層を形成した。
大野原湿原の泥炭層の形成開始時期は約32,000年前とされ、27,000年前頃から本格化し、その後約3,000年前頃まで泥炭の形成が継続していたと考えられています。大野原湿原堆積物中には7〜8枚の火山灰層が含まれていることが報告されています。主な火山灰層は次のような年代です。
姶良(あいら)Tn火山灰:AT.約25,000年前
大山(だいせん)系火山灰:D.約17,000年前
ウツリョウ-隠岐(おき)火山灰:U-Oki.約9,300年前
鬼界(きかい)-アカホヤ火山灰:K-Ah.6300年前
長ノ山湿原の堆積物はTn火山灰(AT)降灰以降の堆積で、泥炭は約8,000年前からと考えられています。
古大野原湿原堆積物の堆積速度は鬼界-アカホヤ火山灰(K-Ah)の堆積以前と以後で異なり、以前は6.7cm/1,000年、以後は27.0cm/1,000年であり、長ノ山湿原堆積物の堆積速度は15.9cm/1,000年であると報告されています。
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次回は、いよいよ作手の湿原についてのまとめです。
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湿原とは何か? その四、まとめ
(2009.10.19)
さて今回は、湿原とは何か?、のまとめです。実はこの問い自体、すでに知識のある人には、奇妙な問いと思われたに違いありません。辞書でもひけば、分かるだろうというわけです。
ではここで、広辞苑をひらいてみましょう。泥炭の堆積云々の説明があり、いわば泥炭湿原を要約しています。しかし別の辞書をひらくと「湿気の多い草原」とあり、簡単な説明で終わっています。
この両者の違いはどこにあるのでしょう。おそらく、前者が学術的に定義されたものであるに反して、後者の場合は、わたしたち一般の人々が連想する湿原のイメージではないかと思われます。しかも漠然とした広範なイメージです。
「湿原の里、作手郷」という時、実は明確には説明できないのが実情です。前述の辞書からすれば、後者の説明になります。説明されているようで、されていないような、あいまいな表現です。
たとえば旧作手村発行のパンフレットによる、湿原分布図を見てみましょう。9ヶ所紹介されていて、すべてに湿原という語が使用されています。しかしこれは便宜上の表記であり、実際は沼沢地、湿地、湿地公園、泥炭湿原、かつ泥炭湿原の一部だけが残された小湿原、といった具合にさまざまな形態を総称して、湿原と表現しているのです。またその場所も、一ヶ所に集中しているのではなく、作手郷のあちらこちらに点在しています。
仮に観光目的で湿原巡りをしようとしても、一般の人には、その場所も分からず、湿原の成り立ちも理解できず、「湿原の里、作手郷」といっても、いったいなんのことだか、まったく分からないのではないかと、思います。
正直言って、作手の自然をプレゼンテーションすることは、大変むずかしいことなのです。とりあえずキーワードとして「湿原の里」と表現しているのですが、実際の所、発信しているわたし自身にも、作手郷の自然が理解・整理されていないのです。
それでいて、作手郷の自然をひと口であらわすならば、やはり「湿原の里」とするのが、もっともふさわしいように思うのです。
湿原とは何か? ながながと書いてきて、結局そのまとめでは、よく分からないことがよく分かった、ということになります。作手郷の自然把握のパラダイムを、組み直す必要があるように思います。
とにかく、「気候・地形の特徴から、作手平原全体が湿性植物に適した地」であることは確かであり、今一度、これらの特徴を整理し直し、分かりやすいプレゼンテーションを心がけたいと、思います。